はじめまして。
なっくと申します。
ブログを見つけて頂き
ありがとうございます!
一体どんな人が
このブログを書いているの?
と思っている方も
いらっしゃると思うので、
このページでは自己紹介をさせて頂きます。
僕は31歳の時にマイホームを作り、
今は住宅ローンの返済を
マイホーム自身にしてもらっています。
『マイホーム自身が住宅ローンの返済?』
『ちょっと何を言ってるかよくわからない』
そう思った人も多いかもしれませんね。笑
僕も5年前に聞いたら
そう思っていたことでしょう。
種明かしをすると・・・
僕が作ったマイホームは
“賃貸併用住宅”というマイホームなんです。
賃貸併用住宅は
半分が自宅・半分が賃貸
というマイホームです。
僕の場合は1階が自宅、
2階が賃貸2部屋という形の
賃貸併用住宅を作りました。
(上の図の左側の構造です)
完成後はトラブルもなく満室経営中です。
【↑自宅】
|
【↑賃貸】 |
現在は賃貸2部屋から入る家賃収入だけで
毎月の住宅ローン全額を返済していて、
少し利益も出ているんです。
あまり見せるものではないと思いますが・・・
こんな感じで家賃が振り込まれて、
住宅ローンの返済にあてています。
(返済口座の一部です)
今でこそこんな感じの生活ですが、
賃貸併用住宅を建てる前は・・・
・給料が上がらなくなって節約ばかり考えて我慢
・欲しいものより安いものを選ぶつまらない買い物
・給料が上がらないことによる将来への不安
我慢ばかりの毎日を送っていて
心の底から楽しい人生だとは言えなかったし、
将来への希望を持てませんでした。
でも今は自分の理想をつめこんだマイホームと
住宅費の負担を減らすことを両立したことで・・・
・玄関を開けた瞬間に無垢の木の香りで癒される
・自分達の生活に合わせた使いやすい間取り
・快適すぎて旅行に行っても家に早く帰りたくなる
・毎月10万円手残りが増えて節約志向がやわらいだ
・夫婦の笑顔が増えて毎日が楽しくなった
こんな生活を送れるようになって
人生は楽しい!
と思えるようになりました。
さらに、
このブログをきっかけに取材を受け、
副業サイトに記事が掲載されるという
経験もさせて頂きました。
【↑取材記事】
最近はこれから賃貸併用住宅を作る人が
より良い賃貸併用住宅を作れるように
アドバイスやサポートもさせて頂いています。
運営しているメルマガは開始から半年で読者は60名超え。
メールやTwitterで相談に乗らせて頂いた方の数は
10名以上になりました。
このように賃貸併用住宅を建てる前には
全く想像できなかった日々を過ごしています。
僕がしたことは特別なことではなく、
賃貸併用住宅というマイホームを選んだ。
ただそれだけです。
だからこそ、
理想をつめこんだ賃貸併用住宅に
住宅費の負担を減らしながら住むことで
あなたの人生は良い方向に変わる。
ということを、
これからマイホームを
作る人に伝えたいです。
なおかつ僕の場合は
業者やコンサルなどに丸投げすることなく、
知識を学び課題を乗り越えながら
自分で全ての工程を経験しました。
人をサポートすることが大好きな人間なので、
これまでに得た知識や経験を活かして
賃貸併用住宅を作る人をサポートして、
より良い賃貸併用住宅を
作ってもらいたいと思っています。
そして理想をつめ込んだ賃貸併用住宅で
住宅費の負担を減らしながら生活することで、
我慢ばかりの毎日から少しでも解放されて
人生が今よりも楽しいと思える。
そんな人をひとりでも多く増やせたら
僕自身がとても嬉しいし幸せだなぁと思うんです。
と、こういう理念があって
ブログやメルマガで発信しています。
このブログでは
●賃貸併用住宅の作り方
●僕の失敗経験から伝えたいこと
●失敗を回避するための注意点
などを僕自身の経験から
惜しみなく伝えていきます。
ぜひ興味のある記事から
読んでみてください。
ちなみに・・・
賃貸併用住宅を作ってから、
『元々土地を持っていたんでしょ?』
『給料が高かったからできたんじゃないの?』
『興味あるけど俺にはできないよね?』
と言われることもありますが、
全くそんなことはありません。
僕は土地は持っていなかったし、
給料も一般的な金額でした。
そして、
特に優れた能力やスキルもない
どこにでもいる普通の人です。
ここから先は
そんな僕がどんな人生を経て
賃貸併用住宅を建てるにいたったか。
僕の人生の物語をお話します。
『山あり谷ありの面白い人生だな』
と言われることも多いので、
ぜひこのまま続きを読んでみて下さい。
僕が歩んできた人生
宙づりから始まる人生
僕の人生最初の記憶は
母親に足を持たれ逆さまの状態で
トイレで揺さぶられていた時の記憶です。笑
ワンパク小僧の僕が
タバコを食べてしまった時に
吐き出させるために行われた作業の
ワンシーンです。笑
この人生最初の記憶の場所は
母方の祖父母が建てた注文住宅でした。
広い庭を駆け回り、
階段をピョンピョンと
飛び跳ねて遊んでいたのを覚えています。
この祖父母の家は
設計士の資格を持つ叔父(母の兄)が
両親のために心を込めて設計した家。
そのエピソードも聞いたことで
僕の中で一番印象に残っている家は
小さな頃に過ごした祖父母の家でした。
『いつか自分も注文住宅を作って住みたい』
子供の頃から注文住宅への憧れを
持って育ったのは
この家の記憶があるからに間違いありません。
小学生にあがる頃には
祖母が病気になってしまい、
祖父母は自宅を手放して
良い医者のいる病院の
近くのマンションへ引っ越しました。
このマンションにも
良く遊びに行っていましたが、
マンション自体の記憶はあまりなく。
覚えているのは
仲のよい祖父母の姿です。
病気になってから外出する時は
車いすになった祖母を
いつも優しく笑顔で支える祖父。
祖母もそんな祖父のことを
心の底から信頼していて、
思うように体を動かせず辛いはずなのに
いつも笑顔で楽しそうでした。
相思相愛って祖父母のことを言うんだろうなぁ
って小学校低学年の僕でもわかるくらい
仲の良い夫婦だったんですよね。
一方で僕の両親は真逆でした。
父が一人で趣味に没頭するタイプで
夫婦の会話は少ない。
2人きりで出かけるところを
見た記憶はありません。
(仲が悪いわけではないんですけどね)
祖父母と両親。
正反対の夫婦像を見てきた僕が
憧れたのは祖父母のような夫婦像でした。
いつかは結婚して祖父のように
奥さんを愛し続ける人になりたい。
毎日が楽しくて
笑顔あふれる家庭を作りたい。
いつのまにかそんな理想の未来を
描くようになっていました。
お金がないが口癖の母
僕は小学校時代に
習い事を1つもしたことがありません。
というのも母の口癖が
『お金が無い』
だったからです。
姉と妹もいる三人兄弟で
養育費だけでもお金がかかります。
それに購入したマンションの
住宅ローンの返済もあったので、
お金に全く余裕が無かったようです。
そんな状況で家計をやりくりし
お金がないが口癖の母に対して
習い事をしたいなんて言えるはずもなく・・・。
『今日は塾だよ。めんどくさいな』
友達がそんなことを言っていると、
いいなぁ習い事できて。
僕の家はお金がないから無理なのに・・・と
うらやましく思っていました。
お金がないと我慢しないといけないし
住宅ローンはなんだか怖いなぁ。
幼いながらも厳しい現実を
ヒシヒシと感じながら育ちました。
母に見つかる10円ハゲ
小学校4年に上がる時には
祖父母と一緒のマンションに
住むことになりました。
さきほど出てきた
母方の祖父母は同じ階の別の部屋。
父方の祖父母は
僕達と同じ部屋の中の一室で
同居することになりました。
生活環境はガラッと変わりました。
父方の祖父は厳しくて怖かったので、
食事の時間も誰もしゃべらず
黙々と食べるだけの時間になりました。
なかでも母はかなり
気を使っていたようです。
それでも厳しい口調で
祖父母から文句を言われることもあり、
夜に一人で泣いている母の姿を
見ることもありました。
そんなある日のこと。
イスに座っている母の頭を
後ろから見た時に
真っ白な部分があるのを見つけました。
それはストレスでできた10円ハゲ。
一瞬息が止まりました。
母がそれほどストレスを抱えて
苦しんでいたことに初めて気づいたのです。
この時から僕は母を喜ばせたいと
強く思うようになりました。
それまでは
・宿題はまったくやらない
・九九算はカンニングしながら何とかクリア
・家の窓から紙飛行機を飛ばしまくるイタズラ小僧
(迷惑すぎる子供・・・)
といった感じで
今考えればオソロシイほどの
落ちこぼれた子供でした。
でもこの時から
母に心配をかけてはならんと
小5で出会った恩師の支えを受けながら、
マジメを絵に描いたような性格へ
180度変身をとげました。
それと夜になると母と妹と三人で
ドライブに出かけて、
車内で必死でおチャラけて
母を笑わせるようにもなりました。
(運転中に笑わせるのは危険ですね)
毎日ストレスに耐え、
必死で我慢している母に
祖父母のように笑顔で楽しく
生きて欲しいなぁ。
そんな思いを抱きながら
小学校を卒業しました。
微妙な成績での中学スタート
中学は地元の公立校へ進学しました。
中学校ではヤンキーも何人かいたので
教師陣はああしろ!こうしろ!
とイチイチ細かく指示してきました。
『言われなくてもわかってるよ・・・!』
束縛感が息苦しくてたまらず、
もっと自由に生活したいと思った僕は
中一の頃から高校生活に憧れます。
愛読書は高校案内の分厚い本でした。笑
高校案内を読みあさる中で
校則がほとんどなくて
しかも自転車で行ける公立高校を見つけます。
ここなら自由に過ごせるし、
母に言われてる通り公立高校だし、
自転車で行けるから電車賃もかからないと
思ったのですが・・・
県内御三家と称される難関校でした。
最初のテストの成績は
240人中109位という
誰の記憶にも残らないビミょ~な成績の生徒に
手が届く高校では無かったのですが・・・
強烈な憧れを抱いた僕は
『絶対この高校に行く!!!』
と無謀にも決めてしまったんです。
それから4時半に起きて勉強する
朝型生活に切り替え、
ひたすら勉強し続けた結果、
なんとか志望校に合格します。
人生初の成功体験と言えるものでした。
がしかし、
ガリ勉の日々を送っていたので、
仲の良い友達も少なかったのが
大きなコンプレックスでした。
数少ない友達と一緒に居ても
どうも居心地が悪い時が多くて、
クラスに自分がいなくても
誰も困らんよな。
そんな風に思いながら、
自分の居場所を探していた中学時代でした。
高校入学と初めての身近な死
高校に入ってしばらくした頃。
入学時に買ってもらった
ドコモのFOMAというガラケーに
母から電話がありました。
『おばあちゃんが今朝亡くなったの・・・
病院に来れる?』
数か月前から体調が悪く
入院していた母方の祖母が
亡くなった知らせでした。
担任の先生がいる理科室に全力ダッシュして
『早退します!』と伝えてから
自転車を必死に漕いで
病院に駆けつけました。
病室に近づいた時。
大きな泣き声が聞こえてきました。
祖父の泣き声でした。
人はこんなに泣くことができるんだ。
そう驚いたほどの嗚咽でした。
祖父にとって祖母は人生の全てだったのです。
祖母の一周忌の法要の時、
祖父が自作の俳句集を
一冊ずつ参加者に配りました。
(祖父は俳句の先生をしてました)
その俳句集には
亡き祖母への愛を込めた俳句が
なんと数百個もつめこまれていたんです。
その場で少し読みましたが
泣きそうになったので、
その場ではそれ以上は
読み進められませんでした。
こんなに人を愛する人生もあるんだ。
TVでやってる純愛ドラマを超えるような愛を
僕は祖父から教えてもらいました。
たぶん人によっては
『なんだよ愛って』
と笑う人もいると思います。
でも僕は違ったんですよね。
真っすぐで深い愛情を持っている
祖父がカッコいいと思ったし
心の底から誇らしかった。
僕にとって憧れの存在でした。
いつか僕も愛する人を見つけて
祖父のように大切に幸せにしたい。
そんな思いを抱くようになったのは
間違いなく祖父の影響です。
初日で挫折!学部を間違えた大学時代
そうこうしている間に
僕は浪人時代を経て
大学へ進学しました。
入ったのは法学部。
しかし初日の講義のつまらなさに、
『自分には法律は向いていない。
学部間違えた!』
と入学早々に確信しました。笑
それからはサークル活動と
バイトに明け暮れる4年間を
過ごすことになります。
サークルでは後輩の指導が大好きで
バイトでも新人のサポートが好きでした。
就活の時には自己分析をして、
周囲のサポートをする時が
一番燃える男だということを
ハッキリと認識することになります。
一方、恋愛事情の方は・・・
大学3年の時に人生初の彼女ができますが。
数か月であっけなく振られました。
モテない学生時代を送った僕は
『子供の頃から夢見ている
笑顔あふれる家庭を築けるのか・・・。
というか結婚できるんか!?』
という不安も感じるように
なっていましたね。笑
油性マジックで頭を塗る男の誕生
大学を卒業してIT企業に入社し
システムエンジニアとして
働くことになりました。
新人研修を終え配属されたのは
当時社内で一番忙しい部署。
最近あの人を見かけないなと思って
その人の周囲の席の人に聞くと、
『メンタルを病んで長期療養中だよ』
そんなやりとりは珍しくない
ブラックな環境でした。
そんな環境でも周りの若手の先輩達は
自分のタスクだけでも手一杯なのに、
周囲へのサポートを欠かしません。
近くで先輩達を見ていた僕は、
『自分も先輩達のようになりたい。
周囲の人をサポートして負担を減らしたい。
自分が頑張らなきゃ!』
と、サポート好きの気持ちが燃え上がり、
サポートできるだけの実力をつけるべく
自分を追い込むようになりました。
物覚えの悪い僕が
実力をつけるためにできるのは、
努力する選択肢しかありませんでした。
それからは、
朝は6時過ぎに会社に到着して
最初に出社した人の役割である
部屋のロックシステムを解除。
夜は警備員がフロアに来て
消灯する23時の直前に
会社をダッシュで出る。
いわゆる社畜と称されるであろう
こんな生活を続けるようになりました。
(当時は自分は社畜だと思っていなかったですが。笑)
そんな生活を続けるとさすがに実力もつき、
後輩だけでなく先輩からも質問されたり、
意見を求められる場面が増えました。
自分が必要とされていると感じることができ、
学生時代からずっと探し続けていた
自分の居場所が見つかったような気がしました。
それがとても嬉しくて、
『もっともっと実力をつけたい!』
とハードワークを続けていたんです。
自分はストレスに強いし
健康だけが取り柄だから
どれだけ働いても大丈夫!
今になって振り返ると
この頃は自分の健康を完全に
過信していたんですよね。
そんな生活を続けていたある日、
仲の良い後輩が休憩に誘ってきました。
その後輩とはよく一緒に休憩していたので、
いつもと同じように休憩にいったんです。
2階にあるカフェでコーヒーを買って
2人でベンチに座ると、
後輩が暗い表情で言いました。
『先輩、10円ハゲできてますよ・・・』
『へっ!?』
後輩にスマホで写真をとってもらうと
確かにそこには10円ハゲがありました。
『嘘だろ・・・。』
ショックでした。
自分では大丈夫と思っていても
体は正直だったんです。
疲労とストレスで体は悲鳴をあげ、
母と同じように10円ハゲという形で
僕にアラートをあげたのです。
少し働くペースを
落とした方がいいのかな
とも思いました。
でも自分がペースを落としたら
他の人にしわ寄せがいくのが嫌でした。
それにやっと手に入れた自分の居場所が
失われてしまうんじゃないか・・・。
自分の体の心配よりも
そんな恐怖心が勝ってしまったんです。
『よし、上手く塗れたな』
翌日からは手鏡と洗面所の鏡を見ながら
10円ハゲの部分を油性マジックで
グリグリと黒く塗りつぶしてから
出社するようになった自分が誕生していました。
どういう思考回路をだどれば
その行為に行きつくのかはわかりませんが(笑)
ただただパニックだったのかもしれません。
そして誰にもバレないように
社畜生活を続けることを選んだのです・・・。
会社で後ろから声をかけられた時には
10円ハゲがばれるんじゃないかと
内心ヒヤヒヤする日々が続きました。
今振り返るとマジックで塗りつぶそう
と思った自分にヒヤヒヤします。笑
10円ハゲは半年程で治りましたが、
自分はストレスに強いという自信が
はかなく崩れ落ちる出来事でした。
ストレスで抑うつ状態になる
社会人5年目になる頃には
今の妻と出会い付き合い始めました。
いつも僕のことを信じてくれる彼女の隣は
本当に居心地がよく、
この人と結婚して幸せな家庭を築きたい
と思うようになりました。
が、
幸せなことばかりは続かなかったんです・・・。
ちょうどその頃にチーム異動があり
大炎上中のプロジェクトチームに入りました。
プロジェクトの遅れを取り戻そうと
全力投球していたある日。
信じられない情報が飛び込んできました。
新人時代から3年お世話になり、
今は転職して外資系企業で
働いている1個上の先輩が
病気で亡くなった
という知らせでした。
最初に聞いた時は『嘘でしょ!?』と
信じられなかったです。
でも本当なんだとわかると、
人の死に年齢は関係ない
自分もいつ死ぬかわからないんだな・・・。
と平均年齢くらいまで生きるでしょと
思っていた僕にとって遠い存在だった死が
身近な存在に変わった出来事でした。
それからしばらくして、
チームの尊敬している先輩に
突然会議室に呼ばれました。
なんだろう?
なんかやらかしちゃったか?
と思いながら2人で会議室に入り、
向かい合って椅子に座りました。
先輩の様子がどうもおかしい。
しばらくの沈黙の後、
重苦しい雰囲気を先輩が破りました。
『”がん”が見つかって・・・。
治療のために
長期療養に入ることになったんだ』
僕はしばらくの間
言葉の意味が理解できませんでした。
最近先輩が体調不良で
早退も増えていたので、
心配はしていました。
でもまさか
そんなに重い病気だったなんて。
先輩の言葉を聞いた後は
悪い夢の中にいるような感覚になり
心ここにあらずという状態。
一番つらいのは先輩なんだから
自分は明るく振舞わなきゃと思いました。
でもショックの大きさは想像以上で、
引きつる顔を明るい表情に変えることは
どうしてもできませんでした。
先輩が長期療養に入っても
プロジェクトは進んでいきます。
先輩の穴は自分が埋める!
その気持ちを胸に抱き、
先輩の分も自分が頑張らねばと思いましたが、
自分よりも遥かに優秀な先輩です。
気持ちだけでは思うように
代わりは務まりませんでした。
『こんな時にチームを支えられるように
朝から晩まで仕事に励んできたのに
全然支えられてないじゃないか・・・。
役立たず!役立たず!役立たず!』
先輩の穴をうめられない自分を
自分で責めるようになったのです。
しばらくすると、
微熱が続くようになり、
何もやる気が起きなくなりました。
疲れているのになかなか寝付けず、
朝は起き上がる気力が出ずに
出社時間を遅らせることが増えました。
『これって何かおかしいよな・・・。
嫌な予感がする・・・』
と心療内科を受診してみたところ
『抑うつ状態』
と診断されました。
特に朝が体調が悪いので、
薬を飲みながら、
出社を昼からにずらすようになりました。
体調が悪くて
『休みたい』
と思った時もあります。
正直言うと毎日そう思ってました。
でも休みたいと思った時には
『先輩は今つらい治療に耐えてる。
必死で病気と戦っている。
自分も負けずに戦わなきゃだめだろ!』
と自分を奮い立たせて
ベッドからなんとか立ち上がり
会社に向かい続けました。
彼女にも精神的に支えられながら働き続け、
どうにかプロジェクトを
やり遂げることができたのです。
プレッシャーからも解放され、
徐々に体調は回復しました。
抑うつ状態を経験したことで、
このまま会社員として働き続けられるのか?
と将来への不安が強まりました。
でも不安があろうがなかろうが、
生きていくには定年まで会社にしがみついて
給料をもらっていくしかない。
当時はその考えしかなかった僕は
その後も相変わらず朝から晩まで
仕事に明け暮れる毎日を続けていたのです。
祝結婚!と同時に給料が上がらなくなる
社会人6年目に結婚をしました。
子供の頃からの憧れである
笑顔あふれる幸せな家庭を築くぞ!
と思っていましたし、
祖父のように
妻を何よりも大切にして幸せにする!
そう決めていました。
決めていたはずでした・・・。
しかしその頃には中堅として
多くのプロジェクトを抱えていた僕は
仕事に忙殺される毎日を過ごしていました。
結婚前よりはましになったものの、
朝7時に家を出て帰宅は22時半
という生活が続きました。
こんな生活なので、
平日に妻と過ごせる時間はほんのわずか。
もっと早く帰って妻との時間を
増やしたいと思う時もありました。
でも僕にはそれができませんでした。
結婚と同時に給料が上がらなくなっていたからです。
厳しい現実を目の前につきつけられて
将来への不安が大きくなった僕は、
極度の節約志向になり
お金のことで妻に我慢させてばかりでした。
それが本当に申し訳なくて・・・
会社で仕事を頑張れば
給料アップにつながるかもしれない。
そうすれば
今より妻に我慢させることもなくなって
妻を幸せにすることにできるはずだ。
そんな風に考えていたんですよね。
結婚をしたことで
マイホームのことがチラっと
頭をよぎる時もありました。
でもこんな状況だったので、
子供の頃に抱いた注文住宅への憧れは
胸の奥深くにソッとしまい、
賃貸暮らしを続けていました。
賃貸の部屋を見つける時も
住みたい大きな街の近くは高くて無理で
場所を我慢して部屋を見つけました。
お金が無いと我慢し続ける人生なんだな・・・
部屋探しの時もこんな風に
感じたのを覚えています。
妻からの衝撃の一言で目が覚める
結婚後も共働きだった妻は
先に家に帰っていて
晩ご飯を作ってくれました。
しかも毎日僕が夜遅くに家に帰るまで
妻も食べずに待っていてくれたんです。
でも夜遅くにご飯を食べるのは
妻の体によくない。
なんとかしたいと思った僕は
ある日の夕食中に
『体に悪いから先に食べていて欲しい』
と妻にお願いをしたんですね。
すると妻は
手に持っていた箸を置き
まっすぐ僕の目を見て、
『2人で一緒に食べる晩御飯が
今の私にとって1日で一番幸せな時間で
メインイベントなの!
どんなに遅くてもどんなに短くても
一緒に食べたい!
1人で食べるのは絶対に嫌だ!』
と強い口調で断ったんです。
妻のこの言葉を聞いた時、
『僕は一体何をしてるんだ!』
とハンマーで頭を殴られた気分でした。
妻と結婚する時
『妻を何よりも大切にして幸せにする』
と決めていたはずでした。
でも現実は夜遅くまで空腹を我慢させ、
たった30分の晩御飯がメインイベント
なんて言わせてしまう状況。
妻を何よりも大切にすると
自分で言っておきながら、
『妻よりも仕事を優先している』
という事実に気づいてしまったのです。
その日の夜は眠れませんでした。
せっかく妻と結婚できたのに
お前はいったい何してんだ。
幸せな家庭を築くんじゃなかったの?
妻を幸せにするんじゃなかったの?
思いと行動が全く一致していない
自分が情けなくて
いつのまにか泣いていました。
お金のことで我慢させている妻と
お金がないと言っている母親の姿が
重なって見えたんです。
祖父のように大切な人を笑顔にすることもできないのかよ!
悔しさがあふれました。
なんで妻より仕事を優先してるんだ?と
あらためて考えてみると、
やっと手に入れた会社の中での自分の居場所を
失いたくないからだと思いました。
でも・・・
子供の頃から求め続けてた
本当の居場所って
もっと近くにあるじゃないか。
2人で食べるたった30分の晩ご飯の時間を
1日で一番幸せな時間と言ってくれる
妻の隣が自分の本当の居場所じゃないか。
妻が一緒にいてくれることが
当たり前だと思うようになっていて
僕は大事なことを忘れてしまってたんですね。
でも、当たり前なんかじゃない
この時気づきました。
1個上の先輩が亡くなったり、
チームの先輩にがんが見つかったり
妻にも僕にもいつ何があるかわからない。
妻が明日も当たり前のように
隣にいてくれるかなんてわからないんだ。
この時に祖父が作った俳句集を
思い出していました。
俳句集の中には
祖母が生きている頃に
一緒にできなかったことを後悔しながら
書いたとわかる俳句がたくさんあったんです。
今当たり前のように過ごしている日常。
人生は有限でこの日常が
いつ突然終わるかわからないんだ。
僕にとって一番大切なものは
当たり前だと思っている
このなんでもない日常なんじゃないか?
そこから感じたのは恐怖心です。
考えたくないけれど、
もしも明日妻になにかあったら
死ぬほど後悔する。
妻を失ってから後悔するなんて
そんなの絶対に嫌だ。
一度切りの限られた人生は
『明日死んでも後悔はない。』
心の底からそう言える人生を送りたい!
でも後悔のない人生って
どんな人生だろう?
その答えを探している時、
人生の中でやりたいことについて
妻と2人で何度も話していることを
思い出しました。
やりたいことは
・日本全国を歩いて旅する
・日本の山を全制覇する
など体力のあるうちに
数か月・数年という時間をかけないと
実現できないことばかりでした。
妻と話す時は、
『無理だろうけどやれたらいいね』
と冗談めかして話していました。
でももしも、
妻と話しているやりたいことを
全部実現できたとしたら。
やりたいことを全部やりつくした人生
なら後悔なんてないよな
と思ったんです。
でも現実は甘くありません。
やりたいことを実現するには
お金と時間が両方必要です。
その両方を手に入れるためには
会社員のままでは不可能。
会社以外の収入が必要なのは明らかでした。
『会社以外の収入で生きていく・・・
そんなこと自分にできるんか!?』
確信や自信なんて全くありませんでした。
でも・・・
妻と一緒にやりたいことを全部やる。
一度きりの人生はそんな人生がいい。
心の底からそう思ったんです。
挑戦してみよう!
そう決めました。
お金と時間が両方ある
状態になるために、
会社以外の収入を構築する。
そして体力のある30代のうちに
2人とも会社を辞めて
やりたいことを1つずつ実現していく。
一度きりの人生、限られた時間の中で
この目標を実現するため、
ガムシャラに挑戦してみようと決めたのです。
注文住宅に安く住むための挑戦
会社以外の収入を作ると
決めたはいいものの、
『会社以外の収入って・・・
何をすればいいんだ!?』
と何をすればいいか
わかりませんでした。
過去にはFXに取り組み、
自分の欲望に支配されて、
600万円以上を失った経験もありました。
『FXと違って自分の感情に左右されずに
お金が入ってくる仕組みを作らないと・・・』
何をすれば良いのか
答えは見つからないまま
毎日インターネットで
情報を探し続けました。
そんなある日
『新築マイホームを建てて
住宅ローンを家賃収入で返済してます』
そんなことが書かれている
ブログを見つけました。
住宅ローンを家賃で返済?
『どういうこっちゃ?』
と思いながらブログを読み進めると、
『賃貸併用住宅』というマイホームを作り
賃貸部分から入る家賃収入で
住宅ローンを返済している。
とわかりました。
このブログを読んだとき、
『そんなことできるの?』
とすぐには信じられなかったです。
自分の親も会社の先輩も
みんな自分の給料から住宅ローンを払って
重い負担に苦しんでいるのを見てきたので、
住宅ローンは自分の給料から返すもの
というのが自分の常識だったからです。
でも、
その後も賃貸併用住宅について調べていくと、
ブログの内容は本当に実現できる
とわかってきました。
僕は賃貸併用住宅が
ものすごく気になりました。
子供の頃からあこがれていた
注文住宅を作ることができる。
しかも住宅費の負担を減らしながらです。
妻と子供と無垢の木の香りがあふれる
マイホームで笑顔で生活している姿
も想像するようになり・・・
賃貸併用住宅に挑戦してみたい!
そう思うようになりました。
その後も賃貸併用住宅について調べた末、
僕は賃貸併用住宅への挑戦を決めました。
住宅ローンは家賃で全部払う
賃貸併用住宅に取り組み始めてから
山あり谷ありというよりも
谷ばかりという状況が続きました。
課題を1つ解決したと思ったら
新たに課題が出てきて
落ち込む時もありました。
でも課題は1つずつ向き合えば
全て解決できるものだったので、
あきらめることはなかったです。
工務店や銀行の担当の方など
多くの人にサポートを頂きながら、
賃貸併用住宅を完成させることができました。
満室になり毎月のローン返済を
全て家賃収入で払う生活が始まると、
毎月の家計の手残りは以前と比べて
約10万円増えたんです。
朝から晩まで命を削って働いても
会社の給料は全然増えませんでした。
でも賃貸併用住宅によって
1年半もかからずに
手残りを10万円も増やせたんです。
しかも満室になった後
僕と妻は何もしていないのに、
賃貸併用住宅は
24時間365日僕達のために
文句も言わずに働き続けて
家賃収入を稼ぎ続けてくれる。
『賃貸併用住宅、すごいな!』
そう実感しました。
賃貸併用住宅のように
自分の時間を使わなくても
自分のために働いてくれる資産
を増やしていったら、
目標である30代で夫婦そろって会社を辞めて、
やりたいことをやる人生を歩むことはできる。
そう確信するようにもなりました。
これからの夢
理想をつめ込んだ注文住宅に
住宅費の負担を減らして住む
という生活を手に入れてから、
人生が楽しい!
と感じるようになりました。
快適な家にいるだけで幸せを感じるし、
お金のことで我慢することも減って
夫婦の笑顔は増え幸福度もあがりました。
でも賃貸併用住宅を手に入れるまでは
人生は我慢するものだと思っていたんです。
母や自分自身がお金のことが原因で
我慢してきたからです。
自由に使えるお金が少なくなる理由の一つとして
住宅ローンの負担が重いから
という人も多いと思うんですね。
だからこそ、これからは
住宅ローンの負担によって
我慢し続ける人を減らしたいと思ってます。
理想をつめ込んだ注文住宅に
住宅費の負担を減らして住む賃貸併用住宅
という選択肢もあるよって伝えたいんです。
そして
我慢し続ける人生を送る必要はないし
人生はもっと楽しくていい。
そう伝えていきたいと思ってます。
もしあなたがこれから
マイホームを買う予定があるならば、
ぜひブログやメルマガを読んで頂き
賃貸併用住宅について
知ってもらえると嬉しいです。
最後に
長いプロフィールを読んで頂き
本当にありがとうございます!
賃貸併用住宅を作ろうと決めた時
僕自身がゼロからのスタートでした。
だから今何も知識がなくても、
挑戦する気持ちがあれば
誰でも実現できると思ってます。
メルマガの中では
100万円以上かけて学んだ知識や、
1年半をかけて実際に経験してきた
体験談など具体的な話もお伝えしてます。
ここまで読んで下さった方は、
きっと賃貸併用住宅に少しでも
興味があるんだと思うんですね。
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●賃貸併用住宅を選んだ理由
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読んでみて下さい。
それでは、
最後まで読んで頂きありがとうございました。
あなたの賃貸併用住宅作りの成功を祈ってます。
なっく
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僕は数年前まではマイホームを買うのはムリだと諦めていましたが、
今は理想をつめ込んだマイホームで生活してます。
毎月の住宅費は実質0円なので将来への不安も減り
楽しい日々を過ごせるようになりました。
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元々僕は朝6時から23時頃まで働く
社畜のような生活を10円ハゲやうつになるまで
我慢して続けていました。
それにも関わらず社会人5年目に結婚すると
同時に給料が上がらなくなってしまったんです。
将来への不安が大きくなり節約思考が強まって、
お金のことで妻に我慢させる日々。
『このまま我慢するだけで人生終わるのか?』
そう思い始めていた頃、妻の一言をきっかけに
我慢ばかりの人生を脱出して
やりたいことをやる人生を送りたい!
と人生を変えたいと思うようになりました。
人生を変えるための第一歩として取り組んだのが
マイホームと賃貸物件がセットになった
賃貸併用住宅です。
賃貸併用住宅が完成した今では
家賃収入で住宅ローンを返済できるようになり、
毎月の家計の収支は10万円改善しました。
その結果将来への不安は減り、
妻に我慢させることもなくなりました。
これからマイホームを作る人にも
『賃貸併用住宅のことを知って欲しい!』
という想いから無料メールマガジンを始めました。
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